アート

茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」と向井久美子の「猫の木版画」、コラボ作品

 

・・・近代日本を代表する女流詩人の一人、茨木のり子の詩である「自分の感受性くらい」を、

向井久美子氏が自身の「猫の木版画」コラボした作品を紹介します。

なお、向井久美子氏は、当ブログの投稿者と同じカルチャーセンター木版画教室の仲間です。

茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

 

向井久美子の「猫の木版画」、コラボ作品

・・・向井久美子氏が自身の「猫の木版画」とコラボした作品を前述「自分の感受性くらい」の詩文の順に紹介します。

 

写真:和紙に摺った木版画を、紙縒(こより=右側端)で丁寧に綴じてあります。

 

詩「「自分の感受性くらい」と「木版画」のコラボ作品

・・・右側を綴じた和紙を開くと右側に原文の彫り、左側に猫が現れます。木版ならではの味のある温かさが表現されています。

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなてきたのを友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

綴られた和紙の木版画の詩文を読んで

最初に詩文を読んだ後、木版画に彫りなおした詩文を改めて読み直すと~何かが違います。

これは、彫刻刀を通して木版にきざみこまれた向井久美子氏の感性が、作品を見る人の心に届いた証拠に他なりません。

猫の描写も詩文ごとに微笑ましく、和紙をめくる度、次はどんなポーズかな?とワクワクしてしまいます。

 

茨木のり子の「詩」

・・・死後16年が経った今も、詩集の重版が相次ぎ、世代や国境を越えて人々を魅了する詩の数々。

前述の「自分の感受性くらい」(1977年)と並んで「倚りかからず」(1999年)と「わたしが一番きれいだった時」(1955年)を紹介します。

代表作一部紹介

その1.

「倚りかからず」は詩集としては異例の人気ある詩で、累計27万部突破のベストセラーです。

「倚りかからず」

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれくらい

自分の耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

 

その2.

写真(百科事典):昭和21年(1946年)撮影。

 

「わたしが一番きれいだったとき」は、19歳の時終戦を迎えた後の状況・心情を余すところなく表現されております。

多くの人が教科書でこの詩と出会い、はげまされているかと思います。

「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達がたくさん死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争に負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

あたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように

              ね

 

「わたしが一番きれいだったとき」の詩が生まれた経緯と背景

戦争によって青春を失った哀しさと虚しさと悔しさと、それでも生き抜こうとする健気さが、正直に打ち明けられています。

茨木のり子さんは、昭和20年(1945年)当時、愛知県西尾市の高校を卒業後、上京していました。

帝国女子医大医学・薬学・理学専門学校(現:東邦大学)薬学部の学生でした。

この詩が生まれた経緯について、次のように語っています。(引用元:はたちが敗戦)。

”その頃「ああ、私はいま、はたちなのね」と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。

眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって・・・。

けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分の事にせい一杯だった。

十年も経てから「わたしが一番きれいだったとき」という詩を書いたのも、その時の無念さが残ったのかもしれない。

終戦から一年後に生まれた投稿者が想う

「わたしが一番きれいだったとき」の詩を読みながら、何度も戦後の情景を頭に描きました。

戦争から解放された明るい開放感とともに、戦争によって青春期を失った哀しみと空虚さが、ふと見上げた青空に溶ける。

終戦1年後に私は五男として鹿児島で生まれましたが、今は亡き兄貴たちは、作者と同じ思いを抱き終戦を迎えたのだと思います。

私達人生を根底から揺るがす出来事!。無念さと虚無感、しかし美しく・健気な詩・・・。

 

亡き夫に捧げた詩集「歳月」

・・・48才の時、夫に先立たれた茨木のり子さんは、それから31年の間、東京の自宅で一人住まいをしていました。

遺体は、訪問した親戚により死後2日後発見(=くも膜下出血)されました。

遺品の中から、未発表の作品40点余りが発見されました。亡き夫への愛を綴った詩集「歳月」でした。

詩集「歳月」のなかから

「急がなくては」

急がなくてはなりません

静かに

急がなくてはなりません

感情を整えて

あなたのもとへ

急がなくてはなりません

あなたのかたわらで眠ること

ふたたび目覚めない眠りを眠ること

それがわたくしたちの成就です

巡る目的地のある ありがたさ

ゆっくりと

急いでいます

 

「急がなくては」の詩に想う。

「ゆっくりと」そして「急がなくては」、二つの相反する言葉です。

私たちの日常は、ゆっくりと(丁寧に)、急がなくては(緊張感をもって)を繰り返し過ぎてゆくのかもしれません。

自分は今まで日常的に意識しながら、丁寧にしかも緊張感をもって生きてきたのだろうか。

昨年、後期高齢者の仲間入りをした投稿者は、いつもそんなこと考えながら生活している訳ではありません。

しかし、我々は無意識のうちに時に丁寧に、又ある時は緊張感をもって暮らしているのかもしれません。

一方、遺品の中から発見されました詩集「歳月」は、遠くへ旅立って行った夫への思いを、

「あなたのかたわらで眠ること~それが私たちの成就です」と・・・。凄い表現としか言いようがありません。

茨木のり子のプロフィール

作家活動

  • ペンネーム: 茨木のり子(本姓・三浦のり子
  • 職   業: 詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家

主な詩集に「見えない配達夫」「鎮魂歌」「自分の感受性くらい」「倚りかからず」など、

戦時下の女性の青春を描いた代表作の詩「わたしが一番きれいだったとき」は、多数の国語教科書に掲載されています。

生い立ち

  • 宮崎のり子は1926年、大阪市生まれ。愛知県西尾市育ち。
  • 西尾高等女学校を卒業後、上京し帝国女子医学薬学専門学校へ入学そして卒業。
  • 23歳の時、医者の三浦康信氏と結婚。1953年川崎洋と詩誌「(かい)」を創刊、多くの詩を書き活躍。
  • しかし結婚して25年後、夫の康信さんを亡くし、その後の31年の間東京で一人暮らしをしていました。
  • そして、2006年「あなたのかたわらで眠ること~それが私たちの成就です」と作品詩集「歳月」に「急がなくては」の詩を残し
  • 詩のごとく、遠くへ旅立って行った夫への思いを胸に79歳の天寿を全うされました(合掌)。

 

向井久美子のプロフィール

生い立ち

  • 1941年 中国内蒙古自治区生まれ、熊本県天草で育つ
  • 1944年 父の事業(食堂経営)の都合で家族は再度満州へ渡る
  • 1946年 満州から引揚げ後、熊本県天草で16歳まで育つ
  • 1956年 名古屋市北区、現在中川区在住
  • 2019年 画文集「夕焼けの大地」初版発行
  • 2020年 以後、同画文集増版

所属団体

  • 朝日カルチャーセンター木版画教室、火耀会(木版画グループ)所属。
  • 富田歌う会・歌声喫茶(カフェ・まりも)
  • 名古屋哲学セミナー

その他活動

  • 各地・学校での講演活動(旧満州からの逃避行体験談)。
  • 中日新聞・日中友好新聞へ記事寄稿。
  • 中国残留孤児との交流。
  • 満州引揚者団体との交流。

「詩」と「木版画」のコラボ作品のまとめ

・・・一昨年(2021年)の火耀会木版画展でした。茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」を、

向井久美子氏が自身で彫った「猫の木版画」を用いたコラボ作品に出会いました。

今でもそのコラボ作品はなぜか頭を離れません。いつの間に脳みそのしわの奥に存在して取り出せないようにしみついたのか。

この二つの作品「自分の感受性くらい」と「猫の木版画」の共通点は、

何気ない日常のふとした時に思い出す、あとをひく作品であると気づきました。

そして、詩と木版画のコラボした作品を和紙の綴りにトライしました。

新たな取り組みの作品に出合うとき、創作活動に至福を感じ、パワーをいただきました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。