・・・戦後、愛知県瀬戸市で制作された陶磁器製の置物や装飾品、人形は「瀬戸・ノベルティ」と呼ばれました。
それらは海外の人々に愛されていますが、中でも主にアメリカに輸出されました。
それは、旧き良きアメリカを描いた人気画家、ノーマン・ロックウェル作品を基にしたノベルティです。
ノーマン・ロックウェル展
横山美術館4F(企画展)
- 開期:2022/8/5~11/4。
- 時間:AM10:00~PM5:00(最終日、PM4:00)。
ノーマン・ロックウェル作品「自画像」
上記自画像を基にした「瀬戸ノベルティ」
4F企画展、展示場入口の模型
ストックブリッジは、晩年を過ごし、自宅・アトリエ・ミュージアムのあった地です。
何度か引っ越してきたノーマンだが、ストックブリッジについては「最高の場所だ」と述べました。
模型は右側のスイッチをで汽車が動き出し、水が流れるようになっています。
展示会概要
ノーマン・ロックウェルは、20世紀の米国を代表する画家の一人です。
何気ない日常を切り取り、愛情を込めて温かく細やかに表現した作品を多く残しました。
週刊誌「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙を47年間にわたり担当しました。
その他、物語の挿し絵、広告用のイラストなども描いています。
これらの絵画の一部をもとにして、瀬戸の原型師が立体化したノベルティに仕上げました。
それらは、原画に描かれていない部分まで表現されており、職人の巧みな技がうかがえます。
作品の大きさは、約10㎝~30㎝弱で、15㎝前後のものが多い。米国向けに輸出され人気を博しました。
展示作品例
作品例1、婚姻届(1976年頃)
背の低い彼女が黄色いハイヒールでつま先立ちになり一生懸命サインをしている横で、
彼女の腰に手を回しして支えている大柄でハンサムな彼。
係員は、「やってられないね」と言った表情をしている。
作品例2、野球少年(1977年頃)
子供たちが集まり、ベースボールチームの選手を選ぶ様子。
ロックウェルの描く子供たちの姿を見て思わず微笑んでしまうのは、
誰もが記憶の中に持つ子供時代の風景を思い出させてくれるからだろう。
作品例3、言論の自由(1981年)
4つの事由とは、アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトが、
1941年1月6日の一般教書演説において発表した目標である。
ルーズベルトは「世界中のあらゆる場所」の人々が享受すべき4つの基本的な自由を提唱した。
「食の自由」・「信仰の自由」・「睡眠の自由」・「言論の自由」を表現した作品である。
作品例4、トランペットの練習(1986年)
はしゃいだり、喜んだり、いたずらっぽく笑ったり、時には緊張したり、落ち込んだり・・・。
子供たちの表情は、その小さな顔からあふれるほどたくさんある。
ノーマン・ロックウェルと絵画
ノーマン・ロックウェルの描く絵画の特徴
・・・彼曰く、「私は、みんなの心の中にあるのに、誰も気づいていない、そんなアメリカを描いて見せたいのです」。
ノーマン・ロックウェルミュージアムに伝わる彼の言葉の通り、
誰もが経験をしたことがあるような、どこか懐かしさのある市民の日常の数々の場面をイラストに描きました。
ノーマン・ロックウェル(1894~1978)。彼はアメリカでもっとも愛されている画家と称されています。
彼の作品を広く世に知らしめたものの一つが、前述の週刊誌「サタデー・イブニング・ポスト」です。
アメリカ市民の間で広く流通しており、1916年~1963年までの47年間にわたって表紙や挿絵で飾られました。
彼のリアルなタッチは、近所の人たちをモデルにした何枚もの精密なスケッチや写真を基にして生まれました。
人物の視線、距離感、それぞれのポーズや装飾など、
細部にまでこだわりが、見る人の心を温めてきました。
そうして完成したイラストは、その前後に何があったのかを想像させます。
かれは、静止しているイラストに、ストーリーを込めたのでした。
ノーマン・ロックウェルの過ごした地
・・・ノーマン・ロックウェルは、ニュウーヨークで生まれ育ちました。
デザイン系の学校で人物描写を学び、挿し絵というジャンルに出合いました。
その後、多くの仕事を受けるようになりました。45才の時、家族ともどもに、
自然豊かなバーモント州アーリントンに居を移しましたが、その4年後、アトリエが全焼。
晩年は、マサチューセッツ州ストックブリッジで過ごし、自らミュージアムを設立しました。
大統領自由勲章を授けられた翌年、84才で永眠しました。(展示作品、案内)。
ノーマン・ロックウェル、ミュージアム
・・・1969年、ノーマンは晩年を過ごしたストックブリッジに、アートコレクション・トラストを、
自ら設立し、作品の保護・管理を任せるようになりました。
このオールド・コーナー・ハウス(古民家)が、ミュージアムの前身であります。
初め、ミュージアムは市内のメインストリートにあったが、19993年に緑あふれる閑静な場所に移転しました。
同敷地内にノーマンのアトリエを移転しております。
そこには、実際に使用していた画材・家具・写真撮影用の小物やコレクションが展示されています。
又油絵やスケッチから手紙、ビジネス文書まで収蔵され、ノーマンの作品においては世界最大規模となります。
ミュージアムショップでは、絵葉書やマグカップとともに、
本展の展示作品であるノベルティなどのグッズが販売されていました。(展示作品、案内)。
展示会場、一部紹介
作品例1、自由の鐘
・・・原作は、82才(1976年)の時、アメリカ建国(1776年7月4日)200周年を祝いの年。
彼の作品は、「アメリカン・アーティスト」誌7月号の表紙を飾りました。
作品例2、Four Seasons シリーズ
・・・印刷会社ブラウン&ビゲロウは、ボーイスカウトのカレンダーなど、
多くのイラストをノーマンに依頼した。
その中で、最もよく知られているシリーズ「Four Seasons」だろう。
これは1948年~1964年まで続き、ベストセラーとなった。
「Four Seasons」シリーズは、4枚で一つのカレンダーとなっており、
同じモデルや同じテーマが通年で描かれる。
老若を男女を問わず、バーモント州アーリントンの住民をモデルとし、
成長・変化を表現して、ストーリー仕立てにしたものもある。
スポーツをテーマにした年は、バスケットボール・野球・ゴルフ、
アメリカンフットボールを摺る4人の少年たちを描いた。
又水遊びや、ハロウィン、雪遊びなどで季節を表現することもあった。
作品例3、遊泳禁止
代表作の棚に陳列された、<ノーマンロックウェル、カタログ誌>の中でした・・・❣。
見つけました「遊泳禁止」、何故かクッスと笑えました。同時に、瀬戸ノベルティーのレベルに驚きました。
・・・NO SWIMMINGと赤字で書かれた立て札の前を、少年が服を着る間もなく走って逃げている。
振り向いて背後を気にしながら走る様子から、泳いでいることが発覚し、
叱られることを恐れていることが分かる。
対して、犬は前だけを見つめて、走ることに夢中にといった様子である(キャプション説明)。
ノベルティーと瀬戸の原型師
ノベルティーの位置づけ
・・・欧米を始めとした海外の家庭で飾られてきた陶製の人形や置物を言います。
アメリカではノベルティの需要が高く、戦後には瀬戸市からも多く輸入するようになりました。
瀬戸の原型師
発想の転換
瀬戸市の職人たは、今まで作ってきたものとは異なる西洋人形に挑みました。
そして、原型や石膏型鋳込法などの技術を高め、養った技術をノーマン・ロックウェルノベルティーに注ぎこみました。
卓越した技術
それは、ノーマンロックウェルの絵画の一部を基にして立体化するのはもとより、
1枚のイラスト作品に込められたストリーを読み解き、さらに原画に描かれていない部分や背面まで表現され、
360度、どこから見ても楽しめる精巧なノベルティーを作り上げました。
ノベルティの制作工程
工程1、デザインと原型
工程2、鋳込み成型の石膏
工程3、泥漿に鋳込み
工程4、余分な泥漿の排除
工程5、型からの取り出し
工程6、用意されたパーツ
工程7、パーツの接着
工程8、仕上げと乾燥
工程9、焼成
工程10、上絵付
工程11、焼付
工程12、完成
ノーマン・ロックウェルとノベルティのまとめ
・・・アメリカではノベルティの需要が高く、戦後には瀬戸市からも多く輸入するようになりました。
それには、瀬戸の原型師の職人たちは、今までとは異なる西洋人形に挑みました。
立体化するのはもとより、さらに今までにないものを作り出そう、と言うイノベーティブな発想。
360度、どこから見ても楽しめる精巧なノベルティーを作り上げました。
またまた、革新・美・完璧さを求める日本人の気質と魂に触れました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。