・・・横山美術館は、明治・大正時代に制作された輸出陶磁器の”里帰り品”を中心に展示しています。
この度、オールドノリタケ×ノリタケの世界展を企画開催中にて紹介します。
- 開催期間:2023/2/24~6/25。
- 開催時間:AM10:00~PM5:00(入館PM4:30)。
- 休館日:月曜日(祝・休日は開催、翌平日休館)。
オールドノリタケ×ノリタケの世界展
4F企画展、オールドノリタケ×ノリタケの世界展
オールドノリタケ
・・・貿易商・森村組と日本陶器メーカー(現・ノリタケカンパニーリミテッド)が、
19世紀末から戦前にかけて生産し、主にアメリカやイギリスへ輸出した洋風陶磁器は、
オールドノリタケと呼ばれ、日本の洋風陶磁器の先駆けとして海外で高く評価されています。
熟練した職人が少数製作した「スタジオコレクション」のボーンチャイナ製フィギュリンなど、
本企画展は、百有余年にわたって生み出された多様な意匠や技法、器種を網羅する優品を、
横山美術館の所蔵品の中から選りすぐり紹介するものです。
横山美術館の3Fと4Fの二つのフロアーを使い展示しております。
明治9年(1876)に森村組を設立した市左衛門は「感激」することの大切さを痛感し、それを説いていました。
職人技の生み出した美に心動かされる、至福のひとときをこの企画展でお過ごしいただければ幸いです。(企画展パンフレット概要)。
オールドノリタケの歴史
森村組設立
・・・明治9年(1876)貿易商の森村組は、幕末の不平等な国際情勢に憤り、
政府に頼らない独立自営の精神で直輸出を志した6代森村市左衛門(=森村組設立者)によって始まりました。
市左衛門の弟・豊(とよ)が、アメリカへ渡って明治11年(1878)にニューヨーク・六番街でモリムラ・ブラザーズを開きました。
モリムラ・ブラザーズの指示のもとで、欧米の好みをとらえた意匠の洋風化がすすめられます。
瀬戸焼や美濃焼の素地を地元・名古屋のほか東京や京都の各専属絵付け工場に送って上絵付させていた生産方式を改め、
それぞれの工場を名古屋の撞木(しゅもく)町と主税(ちから)町(現・名古屋市東区)に集約しました。
このことで互いに技術を競い合い、また協調しながら大きく発展を遂げていきました。
日本陶器合名会社を創立
同37年(1904)にはヨーロッパと肩を並べても劣らぬ製品を生み出すため、
森村組は日本陶器合名会社をを創立しました。
愛知郡鷹羽村大字則武(現・名古屋市西区則武新町)にドイツ式の最新設備を導入した広大な自社工場を設けます。
この地名は商標やブランド名の「Noritake」と用いられたことで、広く知られるようになりました。
この場所は現在、「ノリタケの森」として整備・保存されています。
日本陶器の社内教育
日本陶器は社内教育にも力を注ぎました。
若くして就職した社員たちに一般的な教科を学習させたほか、絵画や彫刻を学ぶ機会を与えました。
画工たちは陶磁器の絵付け限らず日本画や洋画の描画法を社内で習得し、
芸術家として、名古屋の画壇などでも活躍するようになります。
日本陶器の製品に個人名を書き入れることを始めて許された伝説の画工・市ノ木慶治らの描いた、
飾皿や油絵など、優れた作品が世に生み出されました。(説明文概要)。
オールドノリタケ・日本陶器、紹介
・・・4F企画展の会場の展示状況を紹介しつつ、作品会場に説明された貴重な説明文も紹介します。
奮闘主義
・・・我々は何よりも自ら生きねばならない。自ら起たねばならない。
強い、確かな、堅固なところが無ければならぬのであるー。
ノリタケの出発は、森村市左衛門が説いた「奮闘主義」のとおりであった。
福沢諭吉との出会いから慶應義塾に学び、明治9年(1876)にニューヨークへ渡って商売を始めた弟の豊。
2年後には日本雑貨の小売店、モリムラ・ブラザーズを開店させる。
彼は店内の箱に藁を入れ仮眠し、練る間を惜しんで奮闘した。
その店員となったのが村井保固で、アメリカ渡航は84回を数え、豊を支えた。
市左衛門男の義弟、大倉孫兵衛もまた、本業の絵草紙販売を家族に任せ、日本での仕入れに奔走する。
孫兵衛の長男・和親は日本陶器の初代社長や日本碍子社長、大倉陶園主などを務めた。(会場説明文)。
ポートレートジュール金盛婦人図花瓶
輸入した金属顔料を用いた淡いエメラルドグリーンの下地に、
エナメルを盛ったジュールと金盛で豪華な装飾が施される。
本件作品には、転写紙を用いてヨーロッパで人気のあったクイーン・ルイーズの肖像画を絵つけしている。
ルイーズは戦争の講和条約の際、ナポレオンに毅然とした態度で臨んだことで知られる。
盛上燕図花瓶
花瓶の上部は陶器素地の白色を活かし、淡い色彩で樹々が描かれた背景に、
上絵付の燕の黒い羽色とくちばしの周囲の朱色が際立っている。
盛上
・・・器面に立体的な装飾を施す技法で、名古屋絵付けが得意にしていました。
オールドノリタケの最も御表的な技法のひとつである盛上の説明です。
白素地の上に泥漿(水分の多い粘土)や絵具をイッチンで絞り出したり、筆などを用いて塗り重ねるなど、
多くの技法があるが、オールドノリタケでは各種の絵具を使い、複数の技法を併用した作品が多く舞られる。
盛上は、絵付けに用いられるほか、点や線の文様を添えることで一層、
豪華に器を装飾するのに役立ちました。
また、エナメル盛のジュールや、表面に金を塗る金盛も盛り上げ技法の一種です。
オールドノリタケの盛上の大きな特徴は、極めて緻密で繊細な仕上がりにあります。
欧米に輸出さえれるとその見事な職人技が非常に高く評価され、英語でも「MORIAGE」と呼ばれています。
上絵花蝶果物図花瓶
たわわに実を付けた瑞々しい葡萄や野薔薇などの間を、蝶が軽やかの舞っています。
柔らかな筆致と優しげな色づかいが特徴の作品です。
上絵果物図飾皿
水をはじくような張りのある艶やかな葡萄や、うぶ毛の生えた柔らかい桃など、写実的な質感が表現されています。
熟練した職人が少数製作した「スタジオコレクション」のボーンチャイナ製フィギュリンなど、
百有余年にわたって生み出された多様な意匠や技法、器種を網羅する優品を、横山美術館の所蔵品の中から選りすぐり展示されています。
陶器の製品にサイン
日本陶器の製品に個人名を書き入れることを始めて許された伝説の画工・市ノ木慶治(しのきけいじ)の描いた飾皿。
伝説の陶工たち
・・・明治37年(1904)年、森村組が自社一回生産を進めるため名古屋に設立したのが、
日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)であります。
同社は社内教育に力を入れ、同42年(1909)に普通科と技芸科を創設した。
そのうち技芸科修了生の組織足して、日本画の研究会と洋画の研究会が開設され、
さらに彫刻部門を加えて統合した技芸科研究部が設けられる。
このように日本陶器の画工たちは描画を学ぶ機会に恵まれ、その腕を存分に発揮できた製品が、飾皿であった。
特に昭和時代になると重厚な油絵風の絵付けとなり、磁器素地の白色を活かして描く油溶き技法が用いられたが、
釉薬の上に描く上絵付にはキャンパスに描く油絵とは全く技術が必要とされる。
名古屋に生まれ、14才で森村組の絵付け工場に入社した市ノ木慶治(本名:市野木慶治)は、
この技法に卓越しており、昭和になると日本陶器の技芸科で西洋画部の指導に関わった。
当時の西洋画部の教師は洋画家・鬼頭鍋三郎、技芸科全体を統括する主任は後に木村商会を設立する木村儀一でした。
名古屋における、明治時代の画壇
・・・明治時代の名古屋では日本画と洋画を合わせた画壇の形成が特徴で、
明治44年(1811)には全国初の民間総合美術団体「東海美術協会」が設立されました。
大正時代の洋画壇では岸田劉生に刺激を受けた「愛美社」と、鬼頭鍋三郎らによる「サンシオン」が結成された。
市ノ木も同14年(1925)からサンサシオンの同人として参加し、
光風会や東海美術協会など名古屋を拠点に活動しつつ官展への出品をつづけ、数多く受賞しています。
日本陶器の製品に個人名のサインを入れることを初めて許された市ノ木は、社内で「伝説の画工」と呼ばれるに至った。
日本陶器では市ノ木同様、画壇に作品を発表し活躍する者もあり、
田中義夫や井上武、田島音二郎、鵜飼幸雄、池野壽彦らの多くは光風会に属しながら日展や文展などへ出品している。
こうして日本陶器が生き精した多くの画工たちが名古屋画壇をを発展させ、
そして、市ノ木に続いて、油絵と同じサインを日本陶器製品に書き添えたのであります。
飾皿
<飾皿1.>
<飾皿2.>
陶器の上絵付には、油彩画とは異なる技術が求められます。
上絵付用の絵具には白色がないため、一度塗った色絵具を拭い取り陶器素地の城を見せることで代用しました。
これにより、艶やかな花弁や瑞々しい果物、青空に浮かぶ雲などは、
白色の磁器素地の美しさも相まって光り輝くようです。
伝説の画工・市ノ木慶治はこの技法を巧みに用いて華麗に薔薇の花を描き、「薔薇の市ノ木」との異名もありました。(説明文の要約)。
ランプシェード
ノリタケスタジオコレクション
ボーンチャイナ製フィギュリン
アウロラはローマ神話に登場し、オーロラの語源にもなっている、曙の女神である。
二頭立てのペガサスが引く馬車に乗り、大空を駆ってゆく姿をかたどった。
写真:「翼」フィギュリン。昭和51年以降、日本陶器。
大きく羽を広げた二羽の鷲の姿をかたどった、スタジオコレクション。
枝にとまる鷲の片翼と、空中で羽ばたく鷲の尾羽を接合し、優雅ながらも迫力あるフィギュリンに仕立てている。
横山美術館、常設展
ご常設展詳細は、当ブログ「横山美術館」に掲載されています。
例1F、里帰り陶磁器の逸品他
上絵金彩人物図花瓶
・・・口に覆い布を被せた様子をレリーフ状に施し、鮮やかな青色と煌びやかな金彩で優雅な京薩摩である。
例2F、眞葛焼・隅田焼など輸出陶磁器他
眞葛焼、染付黄彩鳳凰図花瓶
頚部が太く伸び、同部が広がった安定感のある形態です。
隅田焼、高浮彫鯛蟹蛯貝大花瓶
頚部に釉薬が掛け流され、黒い器面に高浮彫装飾が施された、隅田焼に特徴的な作風で制作されています。
例3F、オールドノリタケ
盛り上げ鸚鵡図飾皿
明治26年(1893)年のシカゴ。コロンブス万国博覧会以降、オールドノリタケの絵付けは和風から西洋風へ大きく変わっていきます。
その意味で、この作品は和風のモチーフである松と西洋風モチーフの鸚鵡(おうむ)を見事に融合。
オールドノリタケ×ノリタケの世界展のまとめ
・・・日本陶器の製品に個人名を書き入れることを始めて許された、伝説の画工・市ノ木慶治(しのきけいじ)の描いた飾皿などを鑑賞!。
百有余年にわたって生み出された多様な意匠や技法、器種を網羅する優品の数々を堪能しました。
中でも興味深く感動したのは、日本陶器の社内教育でした。
若くして就職した社員たちに一般的な教科を学習させました。
この社内教育は、やがてそれが素地となり感動させられる作品を造るには不可欠な要素である、
という極めて人間的な崇高な信念とその実行力に感動しました。
今回の展示で改めて、日本人の美感覚と技術の高さに感激しました。
この感動をシェアー出来れば幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。